我が家では毎週イッテQを見ています。

イッテQでは女芸人いじりが定番。顔が変なのも、挙動がおかしいのも、いつもいじりの対象だし実際おもしろいし。

でもこの間「お前ブスやな」「くっさ!」とかいつも通りいじられてるのを見てふと思ったんですよね。なんかちょっと気になるかもって。

でも、自分の中でのその『気になる』もなんだかしっくりこなくて。

『芸人』ってそういうものだよね、っていうのもあるし、実際それによって救われる人もいるよね、なんて思ったりもするのです。

(ネット情報なので真偽はたしかではありませんが、森三中大島さんが芸人になったきっかけも元々いじめられていたことだとか・・・その体験を「人に笑われる」→「私が人を笑わせている」という発想に変えることで生き方が変わったらしいです)

笑われる・いじられることを、むしろ売りにして生きていく道もあるんだってこと。その考え方によって救われる人もいると思うし、実際そうやって芸人さんという道を目指していく人もいるのだと思う。

たとえばトレンディエンジェルのハゲいじりなんかも、コンプレックスいじり?特徴いじり?ですよね。本来ならマイナスになるところを、むしろ売りにしていくことで大成功。

あれはあれで素晴らしいことだと思うんです。『ハゲ』そのもののイメージが変わる人ももしかしたらいるかもしれないし。

でも、いじりって発想が苦手な人もいる。ブサイクいじりが嫌で止めた女芸人さんもいましたよね。

自分が妊娠し、胎動を日々感じながら『親になる』ことを目前にして思うんです。

どこを線引きに考えるべきなんだろう?我が子に、どうやって伝えていったらいいんだろう。

トレエンのハゲいじりはいいけど、道行く人に「ハゲー!」って言ったらダメだよね。でもそれはどうやって学ぶものなのか??

保育園ではよく「相手のお顔を見てお話しよう」とか、ケンカしたら「悲しいお顔してるよ?」とかいう声掛けをしたりします。

相手がどんな気持ちでいるか考えること、自分に心があるのと同じように相手にも心があって、それを知っていくことで人との関わり方を覚えていってほしいという思いがあります。

よく「自分がされて嫌なことは人にしない」なんて言いますよね。でも難しいのは「自分がされて嫌なこと」が必ずしも「相手にとって嫌なこと」な訳ではないし、「相手にとって嫌じゃないこと」が「自分にとって嫌なこと」な場合もあるわけで。

「人の気持ちをわかった気になるほどおこがましいことはない」「それこそが相手との関係を悪くする」という考え方もある。それも一理あると思う。

相手のことを考えすぎると、自分の考えが言えなくなったりすることもあるし。ツイッターとかでは、ある程度強い意見が言える人の方が人気だったりもするし。

海外と日本で考え方が違う、なんていうのも聞いたりしますよね。

誰だったか忘れたけど、どこかのセレブ女優さんがハリセンボン春菜さんの「~じゃねぇよ!」ネタを聞いてもニコリともしなかったとか。「あなたは全然その人には似てないわ、とってもキュートな女の子よ」と言った、なんて記事を見た気がします。

そういういじりは海外では無しなのかな。

「テレビの『いじり』はそのまま『イジメ』に直結するから見ていて気分が悪い」というようなコメントも目にします。確かに言いたいことはわかる。でも今まで日本のテレビってずっとそうやって笑い取ってきたんだよね。

急にそういうのをすべて「イジメだ!」「差別だ!」みたいなのもなんだかなんだか無理があるというか、うーん、うまく言えない。

でもじゃあ「テレビの中は良くて、現実ではダメ」ってことか?と考えると、それはそれでなんだか釈然としない。すごく難しいなぁと思うのです。

「笑われる」と「笑わせる」の違い的な?いやもっと奥深い問題なのかな?

我が子が将来テレビを見てそういうネタですごく笑っていたら、やっぱり私はどこか不安になったりするんだろうか?

たとえば現実世界で芸人さんの真似をして「ブスやな!」と誰かのことをいじったら、それは止めなくちゃいけないことでそこは間違いないのだけれど、その理由を私はきちんと説明できるかな?

そんな端的な事じゃなくてもっと大きな捉え方として人との関係性を築いていけるような、そんな育て方をしたいけれど。だけどそれってどうやったらいいんだろね?

なーんて、漠然と考えていたのでした。これもきっと、人によっていろんな考え方あるんだろなぁ。

(ちなみに、私個人は『いじり』とかがものすごく苦手で一切受け入れられられない人間です。笑われることに極端な恐怖感を持ってしまう・・・だから余計にこういうことを考えるのかもしれません)

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